東京・生活者ネットワーク
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よびかけ

基本政策

安心・共生・自治のまちをつくる

1998年9月26日改定

1.今を問う

2.私たちのめざす社会

3.生活者ネットワークの政治

1.今を問う
人はいつの時代も安心して生きたいと願ってきた。しかし歴史の中で、人が作りだしてきたさまざまな物質・事象が、この時代に新たな不安を引き起こしている。そして、人の存在や営みが、地球や生物の生存を脅かす元凶になっている。このことにだれもが気づきながら、抜本的な解決策を見出だせないまま社会生活を営んでいる。まちは「モノ」にあふれ、一見豊かそうに見えるが、「モノ」を得るために人々は時間に追われている。競争社会の中で、ゆとりを失い、大切なものを見失っている。

地球規模の環境破壊が進んでいる。大気汚染、オゾン層の破壊、温暖化、ダイオキシンをはじめとした環境ホルモンなど状況はさらに悪化している。種の絶滅がいわれ、生態系の異常が指摘されている。一方、遺伝子操作へも手が届く。しかし私たちは倫理の確立していない技術の進歩に対して手離しでは喜べない。また核の脅威からも逃れられずにいる。グローバルな視野にたった国際間のルールづくりが急がれている。日本は経済大国であり、環境破壊大国でもある。日本の使い捨て文化は方向転換できぬまま、いくつものごみの山を作り続けている。川の水は汚れ、清流を取り戻す努力は追いつかない。緑は保護より開発にさらされている。

戦後の日本の経済復興は、大量生産、大量消費という経済システムと、土地神話や公共事業に支えられる内需拡大政策と海外進出によって行われた。この日本経済のあり方は、国際的には、アジア諸国の環境破壊をもたらし、大幅な貿易黒字を生み、他国からの大きな批判を受けた。国内的には、人の生命の基本である第一次産業を衰退させ、土地の異常な高騰と金融機関の過剰投資をよびおこし、バブル経済を経験した。その後、経済政策の失敗により、長い不況をまねいたが、回復の見通しが厳しく、いまだに、経済構造の転換ができずにいる。

自由化の波は、金融、情報、食糧など多くの分野におよび、経済の国際競争は、多国籍企業による経済侵略など、いままでになく熾烈になっている。日本国内では、長引く構造不況により、企業の倒産が相次ぎ、終身雇用・年功序列が崩壊しつつある。失業率はますます高まり、雇用不安を招いている。そこで働く人々は男性も女性も、長時間労働を強いられ、あるいは、安い労働力として使い捨てにされる。

企業社会が作り出した労働環境の貧困さ、選択肢の狭さは労働の価値を賃労働に画一化し、働くことの社会性を奪った。そのような社会で働くことに魅力を持てず定職につかない若者が増えている。労働に対する価値観そのものの見直しをせまられている。

女性を取り巻く環境は相変わらず厳しい。国の経済最優先の政策にともない、 1950 年代から構造的につくられてきた専業主婦のしくみは、生活のあらゆる面で、女性をジェンダーの枠に閉じ込めている。税制度や社会保障制度は、国の経済政策の中で、世帯単位で考えられ、出産、育児後の再就職においても、女性の社会進出を阻んでいる。働く女性は、家事、育児、介護をかかえた上、厳然として残る賃金格差の中で、不平等な労働を強いられている。ここでもジェンダーは、女性を休まることのない労働へと駆り立てている。アンペイドワークの問題が、日本でも注目されるようになった。専業主婦か、働く女性かに関わらず、ジェンダーとアンペイドワークが一体となって、女性の人生をしばり続けてきたことが、少しずつ解き明かされている。

人間を、女性か男性かで区分けし、性別役割分業を強いてきたジェンダーは、家庭や労働の現場だけでなく、社会の隅々までその暗い影を落としている。女性を性の対象としか見ないマスメディアの問題を含め、男女がいまだに平等でない日本社会で、結婚を望まない女性が増えたり、少子化が進んでいるのも頷ける事実である。重い荷物を背負いながら、意識的であれ、無意識的であれ、ジェンダーと個々に闘い続けてきた女性たちの力は寄り集まり、これまで女性のいなかった職場への進出、非営利活動への参加と実践、政治の場への女性の登場などを通し、男女平等への提案を一歩一歩進めてきた。しかし男性のジェンダーへの理解と反省は、充分ではない。

子どもたちの生活時間は大きく変化した。早期教育や習いごとが過熱するなかで、幼い子どもたちは向きあい育ちあう関係が作れぬまま、集団生活へと入っていく。学校は個性を認めあう教育を掲げながら、結果的には競争を強いることに傾き、これもまた、育ちあいの場になり得ていない。学力偏重主義が生活のあらゆる場面で子どもをしばっている。友だち同士や異世代のふれ合いの中で作られる子ども同士の認めあいが薄れ、生命の尊厳を学ぶ機会も生かされず、子どもの善し悪しのすべては、大人の尺度で計られる。成長の一過程としての「今日のありのままの自分」を認められない子どもたちの不安は大きい。

90年代、世界の政治地図は大きく変化した。日本では、自民党独裁とそれを補完する55年体制が崩れ、組み合う相手を変えながら、5つの連立政権が誕生した。それは、ひとつの期待、日本の政治が変わるかもしれないという期待を国民に持たせた。しかし、政治家の体質が変わらぬままの政権交代は官僚政治の深部にメスを入れることができなかった。自民党政権が変わっても、国民のための政治にはならないという現実は、ひとつの期待を持たせた分、さらに大きく政治離れを作り出した。政治に関心をもちながら投票行動には関与しない積極的な無党派層の存在が顕著になった。そして、無党派の人々が・「政治を変えたい」と投票に参加したときには、政治に大きな緊張感をもたらし、変化を生むことも経験した。

国の政治が行きづまるなかで、財源委譲の問題が大きく残ってはいるものの、地方分権推進法の成立によって自治体の政治の可能性が広がってきた。

地域の市民活動が政治や社会を動かしている実態も増えてきた。私たちの政治の積み重ねも大きく寄与して、市民の政治文化も大きく変わってきた。立候補が男性と政党の既得権であった地方政治に女性が増えたことで、生活の視点から政治に発言することが普通のことになった。生活者と専門家、市民と行政、さまざまな市民団体のネットワークがつくられ始めた。市民が直接参画できる住民投票が各地で行われ、市民立法も実現するなど、政治の可能性が広がっている。


2.私たちのめざす社会

安心をつくりだす

地球資源を平等に分け合うために、成長神話から訣別する。資源循環を重視した経済の新しい流れは、第一次産業を活性化する。

とどまることを知らない経済成長の中で私たちは豊かさを実感できずにいた。「モノ」という概念から脱した豊かさを考えたい。
人は何のために生きるのかという問いの中で、私たちは生活を楽しみ、自然に親しむ人生を選び、そのための労働のあり方を考える。それは低廉で豊かな住宅政策に支えられ、地域活動も育児も介護も可能なバランスのいい働き方。扶養家族という言葉もなく、同居者の中での平等な家事分担のもとで、より自由な人間関係をつくりたい。もはや家族は一つの型に閉じ込められることはない。

個人を尊重して多様な選択肢を可能にする社会保障を確立する。公共は市民の合意で作られ、市民生活の安全保障が形成される。新しい価値観の構築は生活へのゆとりとなって私たちに返ってくる。

ゆとりの中で、私たちは地域を見る。障害者、高齢者、外国人、そして子どもたち、それぞれの顔をもつ仲間たちとともに将来を考え、このまちに暮らす。子どもたちは成長時に大切な自由に遊べる時間と空間を保障される。ゆったりとした中で、子どもたちは仲間や大人としっかりと向きあい育ちあう。子どもたちの意見は尊重され、社会の構成員であることを実感する。子どもは地域とともにのびのび育つ。

学校は子どもたちの未来を育む場、より自由により豊かに感性をのばしたい。少人数のクラスでの学習は参加者が主体的に学びのメニューを選択できる。障害のある子も外国人も、時には学習をやり直す大人たちも学校に集い、ともに学ぶ。学校のすべての施設は地域に開放され、学校運営には子どもはもちろん先生、地域の人も参加する。地域みんなで教育を論じ、実践する。子どもは学ぶ喜びを仲間とともに分かちあい啓発しあう。

地域のかかわりとコミュニティーづくりを容易にするために公共施設は小規模に地域に分散し、その結果ノーマライゼイションが市民に定着する。

共生のために
豊かさや快適さを求めつくり上げてきた繁栄のツケが私たちをおそっている。さまざまな問題に加え、新たに実態が明らかにされはじめた環境ホルモンは、身近に生命の危機を感じさせる。しかし手遅れにさせてはならない。自然への最大限の配慮を今考える。それは、資源が限りなく循環する社会、生態系へのモラルの構築を求める。エネルギーの主流は太陽光、地熱、そして風に。森や林を大地にしっかり根づかせ、豊かな資源を貯えさせる。川の水は清流となり海へと流れ込む。生命を育む自然の中で、さまざまな生物が支えあう生態系が築かれていく。地球に人間だけがかっ歩してはいけない。やさしくまわりに気を使い生きる暮らし方を求める。対自然、対発展途上国への配慮――それは地球市民としての自覚につながる。地球上の私たちはもはや運命共同体。一つ一つの政策は自然との共生の視点でまず評価され、科学はそれに奉仕する。
リアルタイムで世界がわかる情報の時代を、私たちはお互いの文化を理解し尊重し、思いを通わせあうために使う。その中で、心の国際化は進み、日々の暮らしの中の、外国人との共生の道は豊かに広がる。そして心の国際化は、これまでのような国家による国家への援助ではなく、自治体と自治体、市民と市民、暮らしと暮らしという新たな支えあいを可能にする。自治体と自治体は国家の枠にしばられず、問題解決のために力を出しあう。それは「友好都市」を卒業し、「スクラム都市」をつくりだす。この密接な自治体間のネットワークが地球の平和を確かなものにする。

自治をつくる
現実の生活の中で、目の前にある問題を解決するために、他人と協力するする必要が生じた時にコミュニティーがはじまる。しかし、他人の生活への無関心、人間関係の稀薄さが地域での問題解決能力を低下させている。個々の問題には利害がからみ、よりよい道へと歩みはじめるには人の意見を聞き話しあったり、辛抱したり、時間がかかる。だが、この積み重ねこそが社会を形づくり「私」の生活を豊かにしていく。自分が豊かに生きるためには、他者の存在は不可欠。

政治はパーソナルな欲望をパブリックな要望へ変えていく力をもつ。私たちは他者とともに生きる技術、知恵を社会に提供し、自分たちで考え、行動する市民をつくる。行政手続きの透明化と情報公開で、行政と市民の対等なパートナーシップをつくる。多様で身近な参画の場づくりが、市民の力の発揮をうながす。市民はまちに必要な非営利の事業を起こす。行政は市民に仕事を委託しながら、市民とともに、まちづくりを進める。試行錯誤をおそれず、ともに結果への責任を負いながら、少子高齢社会への展望を拓く。

地域に必要な事業を起こし、その事業に自由に投資できる経済のしくみは地域の活性化をうながす。食べ物も、住むところも、さまざまなサービスも手や目のいき届く地域で提供される。そこで、地域コミュニティーの問題解決能力は向上する。また、大きな経済不安が訪れた時、人々のリスクも少なくてすむ。

人、モノ、金の地域での流れをつくり、地域で自律した生活を支える資源を確保していく。そのために、市民バンクや地域ファンドなどの、ナショナルに組みしないローカルな経済構造をつくり出す。

私たちは企業が支配する労働の現状に対し、だれもが働くことを通して、その存在を評価しあう社会をつくり出す。女性も男性もジェンダーから開放され、より自由に働き、人生を楽しむ。アンペイドワークへの評価は時代とともに変化する。賃労働だけに労働の価値を見い出すのではなく、一人ひとりの存在を社会に位置づける行為として働くことをとらえ、地域を豊かにする新しい働き方をすすめていく。


3.生活者ネットワークの政治
私たちは、政治の主役は「生活する市民」と考え、地方分権をすすめる。私たちは政治の主導権をローカルに取り戻す。まず、国が握ってきた権限を、自治体と市民に委譲させる。国の役割は、外交、運輸、通信、シビルミニマムの維持などに限定し、あとは自治体がその責任で実施することで、より自立的で豊かな自治体政治を創っていく。

地方分権がすすむ中で分権社会に見合った税制が必要である。それによって自治体は、自然環境や歴史など、その自治体の特徴と市民の選択を生かしたユニークかつ自由な発想で、税を徴収し、特徴あるまちづくりを進めることができる。そのためには、地方議会を、行政のチェック機関であるとともに、立法府としての機能を高める必要がある。調査機能を充実し、立法スタッフをもつ。提案された法は議員同士が公開で討論する。同時に議会は、「市民が決定する」システムをつくり出す場である。それは、市民の責任によるまちづくりの、おおらかな展開であり、個性ある自治体をつくる第一歩である。

私たちは「市民が決定する」政治を広げる。それは、私たちの生活の質を変える。国が自治体へ委譲した権限を、私たちは首長や行政だけに使わせない。この10年の間に、「市民立法」や「直接請求」、「住民投票」など、市民自らがまちのきまりごとを作り出したり、まちのあり方を決める動きが活発になった。私たちは、こういった市民の意思ある活動を応援する。しかし、市民にとって今ある権利を使いこなすためのハードルはまだまだ高く、これらはいわば非日常的な市民参加である。

私たちは日常的な市民参加をルール化する。これによって首長が変わってもその権利が侵害されることはない。また、市民参加の過程は、常に公開され行政の都合や、首長の政治信条で市民参加が狭められることはない。市民参加は誰にも公平である。特に、これまで社会的に不平等な立場にあった女性や外国人や障害者は尊重され、子どもたちも地域の中の市民として発言する。日常的な市民参加も、時として果敢に挑戦する非日常的な市民参加も、当然私たちがもっている大切な権利であり、目的をかなえるための道具である。どの時点でどの道具を使うか、判断の要は情報である。私たちは、道具を使いこなすための情報公開を、これまで以上に進めていく。さらに、私たちはきめ細かく、市民の権利を守るしくみを考える。被害を受けた者にしか見えないのが、差別や人権侵害である。私たちは、法や条例では気づかぬまま、こぼれてしまった市民の権利を擁護するために、オンブズパーソン制度を設置する。オンブズパーソン制度によって、法や条例は実態に即してつくり変えられる。

市民参加による施策の方向づけ、市民立法や直接請求によるきめごとづくり、住民投票による政策決定と、まちの進み方を決めるのも市民であり、その結果どのような影響が市民全体に起きたのか、真摯に受け止めるのも市民である。

私たちは、「新しい公共」の概念をつくり、広げ、市民の価値観と政治の価値観を一致させる。それは底力を持って、ローカルからの政権交代を可能にする。「古い公共」とは、措置としての福祉であり、文部省指導の学校経営であり、内需拡大という名で、日本の自然環境を切りきざみ、生態系を破壊することである。私たち生活者ネットワークの政治は、これまでの「古い公共」の問題点を繰り返し指摘し、変革する運動であった。

「新しい公共」は、「古い公共」の反省を十分にふまえ、地域にかたよったり、表面的な経済成長に躍らされることなく、長期的でグローバルな視点を持つ。「新しい公共」を広げる過程で、私たちは「市民尺 (しみんじゃく) 」をもつようになる。それは、経済界主導、国主導のこれまでのものさしではなく、市民が暮らしの視点でつくりだす新しい尺度である。「市民尺」は、「新しい公共」を話しあうなかで自然発生し、水や緑、きれいな空気という、豊かさの実感を計ることができる。「市民尺」は、子どもにも高齢者にも女性にも男性にも平等である。私たちは「市民尺」で一つ一つの制度を測りなおし、つくりかえていく。「市民尺」の平らかな眼は、暮らしのなかの政治課題を、常に掘り起こし解決する。そして、「新しい公共」の事業評価もまた、「市民尺」で計られる。私たち生活者ネットワークは、責任をもって「新しい公共」を主張する。これまでの政治の常識にとらわれることはない。

私たちは、「東京というローカル」を立脚点とした、政治のオピニオンリーダーとなる。「新しい公共」の視点で市民の切実な問題をキャッチし、社会に提起し、市民とともに解決する。ネットワークの力を縦横無尽に使いながら、現実の政治と対峙する。そこには、国の政策で地方が支配される時代の終わりがある。市民の勇気と生活者ネットワークの勇気は、話しあいぶつかりあうことを恐れず、「市民尺」に基づいた判断で、自分たちに本当に必要なものを選びだす。その力は、自治体を変え、国の政治を変える。政権交代は、確かな政治を選び取る市民の手によって実現される。

政治は面白くなる。政治の決定権は市民が握る。「生活する市民がつくった新しい公共」は、深く根をはり、葉を繁らせ、人々の暮らしを豊かにする。

一人一人が生きて輝く政治を、生活者ネットワークは実現する。

   

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